愛媛県新居浜市 多くの銅を産出し繁栄した別子銅山にある「東平(Tonaru)」。新居浜駅から車で40分ほどの場所にあり 最後は道幅の狭い山道をすすんだ先にあります。別子銅山での採掘の歴史は古く 鉱脈を求めて拠点を移しながら300年近くも続きました。東平はそんな別子銅山の歴史の中でも後期の部分にあたります。閉山から40年以上経った現在でも いくつか残された鉱山施設を見ることができるということで行ってきました。採鉱本部跡にある駐車場に車をとめて まずは案内マップの一番奥にある広場を目指して渓谷遊歩道を歩いて行きます。
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花が咲き始め緑がまだ青々と茂る前 様々な色をした樹々に囲まれた渓谷遊歩道。だんだん細い山道になっていきますが 歩きやすい道が続きます。
広場までの途中にあった苔生した石垣は「第三社宅跡」。現在建物は全て撤去されていますが この辺りには銅山で働く人々の社宅が18戸ほどあったそうです。石垣の他にも何に使われていたものかはわかりませんが いくつか生活の跡が伺えるものが残っていました。
ほどなくして広場に到着。広場奥の高台にあったのが「第三変電所跡」。明治37(1904)年に建設され 閉坑間近まで61年もの間使用されていたそうです。つまり使われなくなってから半世紀近くたつことになると思うのですが 当時の姿をしっかり残しています。
建物の中へ入ると木製の壁の一部と階段が少し残っており あとはガランとした空間が広がっていました。
いつの時代のものか錆の浮いた空き缶や かまどだと思われるものも。
東平は別子鉱山の採鉱本部が置かれた大正5(1916)年から 休止する昭和43(1968)年まで町として大変賑わい 最盛期には労働者やその家族など3,800人ほどが生活していたそうです。こんな山間に鉱山関連施設だけでなく 病院や学校、娯楽場なども建設され 1つの街として栄えていたというから驚きます。
こちらは広場の一番奥にあった「第三通洞」。ここを電車が走っていたということだったので見てみたかったのですが 残念ながら中は立ち入り禁止。入り口に設置された黄色い柵は 当時からのものであればなかなかおしゃれです。
その近くにあった暗渠の入り口。通洞もこの暗渠もそうですが どれも緑に覆われ山の一部と化していますが 崩壊することなく綺麗な状態で今に残っています。何kmも山の中を掘り進んで地下へ行くのだからそう簡単に崩れては困りますが これだけのものを造りあげる技術はやはり素晴らしいです。
さて広場を一周したら採鉱本部跡まで来た道を戻ります。途中 “マムシに注意” という看板があったので少しビクビクしていましたが 遭遇することなく戻れました。採鉱本部跡の手前にあったのは「小マンプ」と案内のあったトンネル。
採鉱本部跡地付近で見ることができるのは 階段状につくられている「選鉱場」と「貯鉱庫跡」など。
今はこの一部だけが残されていますが さらに上のエリアには社宅を始め人々が生活する街が広がっていたそうで その様を想像すると100年前に戻って街を歩いてみたい気にさせられます。
向かいに広がる山の景色は 当時もこんな感じだったのでしょうか。
大きな貯鉱庫の下にあったのは「索道基地跡」。索道とは鉱石を運搬するロープウェイのようなものらしく レンガの所々に鉄の装置の一部も見ることができました。
貯蔵庫跡横に長く一直線にのびた階段は かつてインクラインとして使われていた場所だそうです。この傾斜面に敷いたレールの上にトロッコを走らせ 荷物の運搬を行っていたと案内にありました。最後に202段もあるという階段を上って散策終了。これらの施設が現役で稼働し多くの人々が暮らしていた100年前のこの場所も歩いてみたいけれど 100年後のこの場所もやはり見てみたいと思ってしまいます。