愛媛県今治市 瀬戸内海の西に位置する『小島(Oshima Island)』。今治へは景色が綺麗だとすすめられた「しまなみ海道」を通るために 広島県福山駅から高速バス「しまなみライナー」で向かいました。福山駅をでてから30分ほどでしまなみ海道に入ります。今回はショートトリップで時間があまりなかったので それぞれの島に立ち寄ることなく今治まで。島々を繋ぐ橋からの眺めは最高でバスの中から外の景色を撮影。島に囲まれた海はとても穏やかに見えました。
途中の島で何度か停車しながら1時間半ほどで今治駅へ到着。そこから小島までのフェリーが出ている渡し場とよばれる「波止浜港」へ。波止浜港へ着くとすぐ目の前にフェリー乗り場があり 小島へは”波止浜〜馬島”間を1日8往復ほど運行しているフェリーに乗って向かいます。
◇時刻表:波止浜(今治)~来島~小島~馬島
出発の時間が近づき乗り込んだのはこちらの船。貸切状態で景色がよくみえる特等席に座って短い航海を満喫しました。
途中にある来島を経由しても乗船時間は10分程で あっという間に小島に到着。振り返ると波止浜港にそびえるクレーン群が見え 海が穏やかであれば泳いで渡れそうな距離です。
小島は周囲約3kmの小さな島で 明治中期に築かれた「芸予要塞」の遺跡が綺麗な状態でいくつも残されています。港近くに小さな集落があり それ以外にはいくつかの遺跡とそれらを繋ぐ道があるだけなので 約1.8kmの散歩道を観光案内MAP通りに歩いていきます。
小島に上陸してすぐの場所にあった建物。以前は人が住んでいたのだと思いますが 現在は屋根まで蔦がはって全体が緑に覆われていました。自然の力強さを感じつつも 人離れがすすんでいることが伺えます。ただ人工物に入り込んだ緑はなぜか魅力的。
小島の要塞は日露戦争当時 ロシア海軍の瀬戸内侵攻に備え築かれたもの。しかし1902年(明治35年)に完成するも3年後には日露戦争が終わり 1度も使用されることなく完成から20年程で廃止となったのだそう。
散歩道を歩き初めて最初にあるのが「発電所跡」。窓枠に嵌められた鉄棒は錆びて朽ちてしまっていますが レンガ壁は100年以上経っているとは思えないほど綺麗な状態。ちょっと暗いですが建物の中も見て歩けます。
発電所跡を越え 左手に民家の瓦屋根を見ながら進んだ先には1つ目の「砲台跡」。
ここには砲座台と地下兵舎が残っています。草木が生えた地下室の屋根は山の傾斜そのもので 山の中にすっぽりと埋め込まれたような感じ。山と一体化しているという表現がぴったりあいます。
建造物を繋ぐ道は「椿の散歩道」とマップにもある通り 道沿いに椿の木がたくさん植えられていました。椿は春の花で見頃には少し遅い時期でしたが いくつかまだ残っているものもあり少し楽しむことができました。
島の中でも好きだったのは メインの散歩道から左に少し入ったこの道。落ち葉で覆われていますがとても綺麗に舗装されていて アーチ状に幹を伸ばした緑のトンネルが強い日差しを遮り心地よい。この道を歩いているときに聞こえるのは 乾いた落ち葉を踏みしめる音と鳥の声。あとはときどき海の方から聞こえる船の音。
緑のアーチを抜けた先には「弾薬庫跡」。ひらけた場所に出て最初に目に飛び込んでくるのは 一面に広がる黄色い花。あたりには木々の影が落ちていますが そこだけは陽があたって眩しいくらいです。
弾薬庫跡の中に入ると屋根は全てなくなっていましたが 四方の壁はきれいに残っていました。危険な弾薬を貯蔵する場所ということで 山の斜面を掘り下げ山肌が周囲を護るように造られたそうです。現代にあるような優れた重機などがなかった時代 どれだけの技術と労力があったのだろうと想像してしまいます。
まだ散歩道の序盤。緑のアーチを戻り先へすすみます。散歩道の途中ひと休みできる石のベンチが2基 海に向かって並んでいる場所がありました。緑の木々のあいだから来島海峡大橋が見えます。
進んだ先には要塞の中核をなす2つ目の「砲台跡」。綺麗に切り揃えられた石で造られた強固な地下室と山肌を覆う壁がなんとも美しい。1つ1つの石はある程度の大きさがあり この石を運んで切り揃えるだけでも相当な労力が必要だったのではないかと思います。
3つの砲座跡と交互に設置された地下室は 入り口もアーチならば中も壁と天井の境目のない綺麗なアーチ状。
敷地の一番奥には6つ並んだ赤煉瓦の「地下兵舎跡」。こちらも長い年月が経ったとは思えないほど綺麗な状態で 向かいには浄化槽までありました。もちろん全ての建造物の屋根は草木に覆われ 山の一部と化しています。上空から見ればここにこんな建造物があるなんてわからないのではないでしょうか。
兵舎横の細い階段を登った先には「司令塔跡」。
この司令塔は島の中で一番高い場所にあるようで 360°周りの景色が遠くの方までよく見渡せます。ここなら遠くからくる戦艦もいち早く見つけられそうです。
砲台跡を後にしてさらに島の奥へ進むと 2つめの「発電所跡」があります。影になった場所に建っているせいか 今までにはなかった湿度のある独特の雰囲気がありました。
島の一番奥 北側に位置する最後の「砲台跡」。こちらは小規模で 地下室の入り口を覆い隠すように育った大きな木が印象的。
その隣は要塞が不要のものとなり廃止処分になった後 大正15年に行われた爆撃演習により唯一爆破された場所です。破壊されたのは一部のみでその残骸が今も当時のまま残っています。爆撃演習には周辺の島々などに多くの観衆が見物に集まったとあったので それなりの規模の爆撃が予定されていたのではないかと推察。
この爆撃演習でも破壊は一部だけにとどまり これだけの要塞を造りながら1度も実践に使われることがなかったおかげで 今この素晴らしい建物群を見ることができます。竣工から100年以上経った今でも美しいまま残っているいくつもの建造物。緑と融合した姿は最高に魅力的でした。
帰りは海沿いの道から船着場まで。大きな来島海峡大橋がのぞめるこの道も最高で 帰りのフェリーの時間ギリギリまでこの島を満喫しました。椿が満開の時期にまた来よう。