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  • 平家落人伝説が残る山あいで樹々に囲まれるように佇む真鍋家住宅 Manabe House

    平家落人伝説が残る山あいで樹々に囲まれるように佇む真鍋家住宅 Manabe House

    愛媛県 東予に位置する切山地区に残る「真鍋家住宅」。G.B.Cキリヤマベース店を訪れた際に 近くに国の重要文化財に指定された 愛媛県に現存する最古の民家があるということで行ってきました。G.B.Cから続く小道をくだるとすぐに現れた 苔むした立派な茅葺き屋根の家屋。 真鍋家の入り口は解放されており 中を自由に見学できるようになっていました。家屋は玄関と台所がある土間とその隣に部屋が2つ。今はここでは生活されていないとのことですが 整えられた床の間があり先祖代々の写真も掛けられており 生活の跡がしっかり染み付いています。 ここは向かいに住まれている真鍋さんが管理されているそうで ちょうど囲炉裏に薪をくべに来られて 家を長持ちさせるために常に焚き続けているのだと教えていただきました。おかげで部屋中は炭の煙で真っ黒。ですが黒く艶光りした柱がむき出しの天井がなんともかっこいい。 土間から部屋にあがると床が柔らかくたわむのでよくみると 竹を組んだすのこの上に莚を敷いた状態でした。この下に床下収納があるのだと教えていただき なるほど すのこと莚ならすぐに取り外して出し入れが簡単です。ところどころに以前使われていたであろう物たちも置かれていました。 近くに真鍋家の方がやられている小さな図書室があり そこにも寄り道して昔の資料なんかも見せていただきました。ちょうど今年の秋に県外から職人さんを呼び屋根を取り替えるのだそうです。全て取り替えるのは数十年に1度の貴重な機会。できれば毎日通ってその様子をみたいものです。 真鍋家住宅 Manabe Househttp://www.shikochu-kankou.jp/愛媛県四国中央市金生町山田井2030-22030-2 Yamadai, Kinsei-cho, Shikoku Chuo-shi, Ehime

  • コーヒー1杯分のひとときを寛ぎの時間にしてくれるG.B.Cキリヤマベース店 GRABBAG COFFEESTOP & CACAOBASE

    コーヒー1杯分のひとときを寛ぎの時間にしてくれるG.B.Cキリヤマベース店 GRABBAG COFFEESTOP & CACAOBASE

    愛媛県の東側 香川県との県境の山の上に位置する「G.B.Cキリヤマベース店(G.B.C KIRIYAMA BASE)」。電車の最寄り駅から車で20分ほど この先にお店があるの?と思うようなくねくねした山道を登った先にあります。こちらは店主がコーヒー豆の産地に赴き厳選したコーヒーと 店舗の隣にある工房でカカオ豆から手作業でつくられたチョコレートが楽しめるというお店。 お店に到着すると さっそくおすすめのホットコーヒーと爆ドーナツを購入して お店の前に設置されたイートスペースでいただきました。この日はあいにくの雨だったのですが 緑に囲まれた山の中でいただくコーヒーはそれだけでなんだか贅沢で 香りをかいだだけでとても幸せな気分。ふんわりドーナツもコーヒーとの相性ばっちりでした。 コーヒーをいただいたあとは お店の中を見ていきます。中に入ると入り口横に常連さんのマグカップが並んでいました。アクセスが良いとは言い難い場所にあるのですが 店主もスタッフの方も気さくで毎日通いたくなる気持ちがよくわかります。 さて楽しみにしていたチョコレートをチェック。原材料はカカオ豆と砂糖のみ。この日は産地の違うカカオから作られた カカオ70%のチョコレートが3種類販売されていました。どれも試食ができるようになっていたので1つずつ食べ比べ。そのうち原産国がペルーとマダガスカルの2種類のチョコレートを購入しました。 こちらは購入したチョコレートに同梱されていた チョコレートの味わい方。 「G.B.Cチョコレート」の味わい方 1.チョコレートを袋から出して、香りや見た目とともに色合いを楽しむ。2.手で『パキッ!!』と割って、その音を楽しむ♪3.口に含み、「少しだけ」噛んで、舌の上でゆっくりと体温で溶かしながら滑らかな食感、口どけ、風味を楽しむ。4.そのまま香りを口の中から鼻にぬいて、その香りを楽しむ。 このように『五感』で味わっていただけると、チョコも喜びます!! by GRABBAG COFFEESTOP & CACAOBASE コーヒーとチョコレート。どちらも毎日欠かせないもので最強の組み合わせ。今度の旅先はコーヒーとカカオの産地というのもいいかもしれない。 GRABBAG COFFEESTOP & CACAOBASE キリヤマベース店https://www.grabbag.jp/愛媛県四国中央市金生町山田井乙486-1486-1 Yamadaiotsu, Kinseicho, Shikokuchuo, EhimeTEL:0896-77-5449

  • いつでも昭和30年代のまぼろし商店街へ迷い込める思ひ出倉庫 Omoide-Soko(Storehouse of Memories)

    いつでも昭和30年代のまぼろし商店街へ迷い込める思ひ出倉庫 Omoide-Soko(Storehouse of Memories)

    大洲で街歩きをしているとき ひときわ賑やかだった「ポコペン横丁(Pokopen Alley)」。今の時期(4月〜11月)は毎週日曜日に開催されているというレトロ市。たくさんの小さな商店が並び 広場の中心は小学校の青空教室のような感じになっていて たくさんの子供たちで賑わっていました。商店など広場にあるものはどれも昭和の時代を感じる懐かしい造りで 広場の壁に飾られたたくさんの錆琺瑯看板が圧巻です。 レトロ市が開催されている広場をぬけた一番奥にある漆喰の蔵が「思ひ出倉庫(Storehouse of Memories)」。入り口には “木戸銭 大人200 小人100円” と貼り紙があり 昔は入場料のことを木戸銭と言っていたんだなぁと なんだか懐かしいことのはずが新鮮でした。 蔵の中に入ると所狭しと当時の品が並べてあり「まぼろし商店街」という昭和30年代の町が再現されていました。くすり屋や交番 店の前にはたくさんの自転車が停められており 床屋とつづきます。最初に目を惹いたのは 床屋の鏡の前に置かれた子ども用と思われる木馬型のイス。革張りでとてもおしゃれでした。 奥には駄菓子屋があり ガラスケースの中には懐かしのお菓子に玩具 奥の壁にはプロ野球選手のプロマイドも。横のラックには当時の流行を表す雑誌がびっしり。 当時の住居も再現されていて 玄関からキッチンまで生活感溢れる感じに展示されていました。家具はもちろんちょっとした生活道具や文具まであり とにかくどれもデザインがおしゃれで大興奮。 バイクや工具が集められた場所はモータース商会。今でも街で見かけるデザインのバイクばかりで 何十年も求め続けられるデザインって素敵だなとしみじみ。何十年も変わらないデザインといえば コカ・コーラの様々な品が並べられたエリアもありました。もしかしたら中にはマニア垂涎の品もあるかもしれません。 昭和30年代の生活を堪能して外にでると 蔵の隣にこれまたレトロな車とガソリンスタンド。蔵の中はとにかく圧倒的な品数で 見応え充分大満足。当時の生活を知る人も知らない人も楽しめる場所だと思います。 思ひ出倉庫 Omoide-Soko(Storehouse of Memories)http://www.city.ozu.ehime.jp/愛媛県大洲市大洲103103 Ozu, Ozu, EhimeTEL:0893-24-2664

  • 数奇を凝らした四季の美しさに魅せられる臥龍山荘 Garyu Sanso Villa

    数奇を凝らした四季の美しさに魅せられる臥龍山荘 Garyu Sanso Villa

    愛媛県大洲駅から車で5分程 肱川のほとりに佇む「臥龍山荘(Garyu Sanso)」。明治30年ごろから10年余りをかけ河内寅次郎の別荘として建てられたもの。近くには明治の家並があり辺りは静かで 近くまでくると塀の外からでも素敵な雰囲気が伝わってきます。見終わってみると至る所にこだわりがみられ こだわりを知るたびにますますここが好きになりました。 まず入口の門をくぐると 右手に石垣を眺めながら玄関まで石の階段をのぼっていきます。この石垣は場所によって積み方が変えてあったり 石垣から顔を覗かすように生きた木を残したまま石が積まれている箇所があったりと さっそくいくつものこだわりが。 敷地の一番手前には母屋の「臥龍院」があり そこから順に見てまわります。 臥龍院には主な間が4つあり それぞれ四季を表しているのだそう。夏にあたる「清吹(せいすい)の間」の欄間には流水の透かし彫。写真ではわかりづらいですが 障子に映る細かい光の模様がとても美しいです。 秋にあたる「霞月(かげつ)の間」の窓から見えるのは肱川。ここでも随所にこだわりが見られるのですが 中でも…と係の方が教えてくれたのは 霞月の間の庭に面した縁側廊下。通常床板は細長く切り揃えられた板を並べて造られていると思うのですが ここは松の1枚板でできているのだそう。しかも一見して1枚板だとわかるのは粋ではないということで わざわざ目地をいれ寄木のように見せているという。本当に贅沢で粋です。 そして臥龍院の一番奥にあるのは秋にあたる「壱是(いっし)の間」。一番広くて格式高く 畳をあげれば能舞台にもなるという。そんな壱是の間から見た庭園は どこまでが庭園でどこからが借景かわからない程 緑で溢れていて最高の眺めです。左に目を向ければ緑の奥に肱川が広がっています。 臥龍院をでると庭園の奥へ。一面に広がる美しい苔の中敷石の上を歩いて行くと 庭園の中程にあるのが「知止庵」。以前は浴室だった建物で 現在は茶室に造り変えられています。 初夏ということもあり 緑が美しい庭園では様々な植物を見ることができました。中には育つのに通常100年もかかるという珍しい「牡丹苔」も。庭のちょっとしたところに紫色の小さな花が生けられていて さらに庭園を素敵にしていました。 木陰の中をつづく庭園の先へ。 庭園の一番奥にあるのは「不老庵」。崖からせり出すように建っていて これを懸け造りと呼ぶそうです。大洲は伊予の小京都といわれており ここから夏は鵜飼いで賑わう肱川をのぞむことができます。 戸を開け放した不老庵の中は風が通りなんとも心地よい。天井は竹を編み込んだ網代張りというもので緩いアーチ状になっており 肱川の川面に反射した月光を映すのだとか。天井に映った月明かりは川の流れとともに揺れるというから さぞかし美しいでしょうね。ぜひそんな絶景を見てみたいですが夜は入園できないので 昼間みることができるのはこの眺め。まさに風光明媚な景色。 ここではお茶がいただけるということで 季節をちょっとだけ先取りした青紅葉が添えられたカワツツジの和菓子と一緒に この景色を眺めながらのんびりいただきました。 庭園の出口に向かって来た道を戻っているとき 先ほど見つけられなかった景色をみつけてまた感動。ここを訪れる前より少し心が透明になったような そんな気がしました。 臥龍山荘 Garyu Sanso Villahttp://www.garyusanso.jp/愛媛県大洲市大洲411-2411-2 Ozu, Ozu-shi, EhimeTEL:0893-24-3759

  • 肱川と美しい自然に囲まれるように懐かしい町並みが残る大洲 Ozu -Little Kyoto of Iyo-

    肱川と美しい自然に囲まれるように懐かしい町並みが残る大洲 Ozu -Little Kyoto of Iyo-

    愛媛県の西側に位置する「大洲」。伊予の小京都と呼ばれ風情ある町並みと美しい自然が見所です。松山方面から車で大洲の町に到着すると案内板にしたがい まずは大洲観光総合案内所「大洲まちの駅あさもや」へ。そこで散策マップをもらい町歩きスタート。 案内所をでるとすぐに石張りの道がつづき 明治の家並みがあります。その道を通り今回絶対に行くと決めていた「臥龍山荘」へ。臥龍山荘から見る景色はもちろん 周辺もとてもよい雰囲気だったので 臥龍山荘をあとにすると肱川沿いの道を散策。この日はとても日差しが強かったので 道全体が木陰になって心地よい風が吹くこの細い道がとても気持ちよかったです。ちなみに左手が臥龍山荘で 右手にある石垣は大洲神社へとつづく道。 ぶらぶらしながら日曜日のみ開催しているというレトロ市「ポコペン横丁(思ひ出倉庫)」に少し寄り道した後 以前は旅館だったという「油屋」さんでランチ。メニューをみた瞬間に気になった “トンくり まぶし丼” を注文。とんくりとは豚バラ肉と大洲産の栗のことで ひつまぶしのようにいただきました。まずは1/4をお茶碗によそいそのまま。次は薬味をのせて。最後にスープをかけて。炉を中心とした吹き抜けの広い空間にいくつも提灯がさがったとても素敵なお店で 料理も美味しくて大満足。 お腹もいっぱいになったところで散策再開。大洲に来たなら大洲城は外せないということで 平成16年(2004年)に復元されたという「大洲城」へ。町を歩きながら遠くからでも見えていた大洲城。天気がよくて青空に白と黒の城がよく映えています。 緩やかな坂を登ってさっそく天守の中へ。入り口を入ってすぐの場所にあった模型。模型といってもけっこうな大きさで 削られた木の柱だけで組み上げられた様子に惚れぼれします。 途中にあった当時の城を再現したジオラマ。この後町の中に残された城の一部「大洲城三の丸南隅櫓」がある場所に行きましたが 当時の城の広さに驚きました。 以前の姿を忠実に再現したという現在の天守。今回の復元にあたってたくさんの人が寄付されたとのことで それぞれの柱が誰の寄付によるものかわかるようになっていました。吹き抜けから見上げた天井に組まれた太い梁は圧巻で まだまだ新しい木の色と香り。とても立派な木造建築の経年変化が楽しみです。 城をでると後ろ側に下る遊歩道があったので 帰りはそちらの道から。綺麗に整備された道を進み花がついていない藤棚を過ぎると そこは菖蒲園になっていました。花菖蒲が咲く時期はもう少し先ですが 一面緑の公園も充分素敵です。 さまざまな角度から城を見ましたが ここから見上げる緑に囲まれた城の姿が一番好みでした。花菖蒲が咲く時期にはもっと素敵な景色が見られると思います。 菖蒲園から住宅地を抜けて北へ歩いて行くとあるのが「お殿様公園(Otonosama Park)」。 公園内には国の重要文化財に指定されている「大洲城三の丸南隅櫓」や「旧加藤家住宅主屋(Old Kato House)」があります。旧加藤家住宅主屋は大正14年(1925年)に建てられた木造2階建。残念ながら中に入ることはできないのですが 立派なお屋敷で見取り図をみると 階段2つ、トイレ3つ、2階の中心には大廊下がありそこから各部屋へ行けるようになっていました。2階を囲むように造られた縁側のガラス障子がとても美しかったです。 最後に大洲の町から車で30分程離れた場所にある「長浜大橋(Nagahama Ohashi Bridge)」へ。現役の道路可動橋では日本最古とのこと。周りに高い建物がないので 真っ赤な橋はすごい存在感。時間が合わず開閉するところは見ることができませんでしたが せっかくなので橋を渡ってみました。 道幅が狭いので車のすぐ横を赤い鉄骨が流れていきます。一時は撤去の危機もあったようで 今回大洲の町で訪れたいくつかの場所もそうですが こうして今に残され見ることができてよかったです。 大洲 Ozu City

  • 当時の姿を今に残す緑をまとった芸予要塞跡 瀬戸内海国立公園 小島 Oshima Island

    当時の姿を今に残す緑をまとった芸予要塞跡 瀬戸内海国立公園 小島 Oshima Island

    愛媛県今治市 瀬戸内海の西に位置する『小島(Oshima Island)』。今治へは景色が綺麗だとすすめられたしまなみ海道を通るために 広島県福山駅から高速バス「しまなみライナー」で向かいました。福山駅をでてから30分ほどでしまなみ海道に入ります。今回はショートトリップで時間があまりなかったので それぞれの島に立ち寄ることなく今治まで。島々を繋ぐ橋からの眺めは最高でバスの中から外の景色を撮影。島に囲まれた海はとても穏やかに見えました。 途中の島で何度か停車しながら1時間半ほどで今治駅へ到着。そこから小島までのフェリーが出ている渡し場とよばれる「波止浜港」へ。波止浜港へ着くとすぐ目の前にフェリー乗り場があり 小島へは “波止浜〜馬島” 間を1日8往復ほど運行しているフェリーに乗って向かいます。 ◇時刻表:波止浜(今治)~来島~小島~馬島 出発の時間が近づき乗り込んだのはこちらの船。貸切状態で景色がよくみえる特等席に座って短い航海を満喫しました。 途中にある来島を経由しても乗船時間は10分程で あっという間に小島に到着。振り返ると波止浜港にそびえるクレーン群が見え 海が穏やかであれば泳いで渡れそうな距離です。 小島は周囲約3kmの小さな島で 明治中期に築かれた「芸予要塞」の遺跡が綺麗な状態でいくつも残されています。港近くに小さな集落があり それ以外にはいくつかの遺跡とそれらを繋ぐ道があるだけなので 約1.8kmの散歩道を観光案内MAP通りに歩いていきます。 小島に上陸してすぐの場所にあった建物。以前は人が住んでいたのだと思いますが 現在は屋根まで蔦がはって全体が緑に覆われていました。自然の力強さを感じつつも 人離れがすすんでいることが伺えます。ただ人工物に入り込んだ緑はなぜか魅力的。 小島の要塞は日露戦争当時 ロシア海軍の瀬戸内侵攻に備え築かれたもの。しかし1902年(明治35年)に完成するも3年後には日露戦争が終わり 1度も使用されることなく完成から20年程で廃止となったそうです。 散歩道を歩き初めて最初にあるのが「発電所跡」。窓枠に嵌められた鉄棒は錆びて朽ちてしまっていますが レンガ壁は100年以上経っているとは思えないほど綺麗な状態した。ちょっと暗いですが建物の中も見て歩けます。 発電所跡を越え 左手に民家の瓦屋根を見ながら進んだ先には1つ目の「砲台跡」。 ここには砲座台と地下兵舎が残っています。草木が生えた地下室の屋根は山の傾斜そのもので 山の中にすっぽりと埋め込まれたような感じ。山と一体化しているという表現がぴったりあいます。 建造物を繋ぐ道は「椿の散歩道」とマップにもある通り 道沿いに椿の木がたくさん植えられていました。椿は春の花で見頃には少し遅い時期でしたが いくつかまだ残っているものもあり少し楽しむことができました。 島の中でも好きだったのは メインの散歩道から左に少し入ったこの道。落ち葉で覆われていますがとても綺麗に舗装されていて アーチ状に幹を伸ばした緑のトンネルが強い日差しを遮り心地よいです。この道を歩いているときに聞こえるのは 乾いた落ち葉を踏みしめる音と鳥の声。あとはときどき海の方から聞こえる船の音だけ。 緑のアーチを抜けた先には「弾薬庫跡」があります。ひらけた場所に出て最初に目に飛び込んでくるのは 一面に広がる黄色い花。あたりには木々の影が落ちていますが そこだけは陽があたって眩しいくらいです。 弾薬庫跡の中に入ると屋根は全てなくなっていましたが 四方の壁はきれいに残っていました。危険な弾薬を貯蔵する場所ということで 山の斜面を掘り下げ山肌が周囲を護るように造られたそうです。現代にあるような優れた重機などがなかった時代 どれだけの技術と労力があったのだろうと想像してしまいます。 まだ散歩道の序盤。緑のアーチを戻り先へすすみます。散歩道の途中ひと休みできる石のベンチが2基 海に向かって並んでいる場所がありました。緑の木々のあいだから来島海峡大橋が見えます。 進んだ先には要塞の中核をなす2つ目の「砲台跡」。綺麗に切り揃えられた石で造られた強固な地下室と山肌を覆う壁がなんとも美しい。1つ1つの石はある程度の大きさがあり この石を運んで切り揃えるだけでも相当な労力が必要だったのではないかと思います。 3つの砲座跡と交互に設置された地下室は 入り口もアーチならば中も壁と天井の境目のない綺麗なアーチ状。 敷地の一番奥には6つ並んだ赤煉瓦の「地下兵舎跡」。こちらも長い年月が経ったとは思えないほど綺麗な状態で 向かいには浄化槽までありました。もちろん全ての建造物の屋根は草木に覆われ 山の一部と化しています。上空から見ればここにこんな建造物があるなんてわからないのではないでしょうか。 兵舎横の細い階段を登った先には「司令塔跡」。 この司令塔は島の中で一番高い場所にあるようで 360°周りの景色が遠くの方までよく見渡せます。ここなら遠くからくる戦艦もいち早く見つけられそうです。 砲台跡を後にしてさらに島の奥へ進むと 2つめの「発電所跡」があります。影になった場所に建っているせいか 今までにはなかった湿度のある独特の雰囲気がありました。 島の一番奥 北側に位置する最後の「砲台跡」。こちらは小規模で 地下室の入り口を覆い隠すように育った大きな木が印象的でした。 その隣は要塞が不要のものとなり廃止処分になった後 大正15年に行われた爆撃演習により唯一爆破された場所です。破壊されたのは一部のみでその残骸が今も当時のまま残っています。爆撃演習には周辺の島々などに多くの観衆が見物に集まったとあったので それなりの規模の爆撃が予定されていたのではないかと推察。 この爆撃演習でも破壊は一部だけにとどまり これだけの要塞を造りながら1度も実践に使われることがなかったおかげで 今この素晴らしい建物群を見ることができます。竣工から100年以上経った今でも美しいまま残っているいくつもの建造物。緑と融合した姿は最高に魅力的でした。 帰りは海沿いの道をとおって船着場まで。大きな来島海峡大橋がのぞめるこの道も最高で 帰りのフェリーの時間ギリギリまでこの島を満喫しました。椿が満開の時期にまた来よう。 瀬戸内海国立公園小島 Setonaikai National Park – Oshima Islandhttp://www.oideya.gr.jp/oshima/

  • 船の魅力溢れる造船所がひしめく波止浜港 Hashihama Port

    船の魅力溢れる造船所がひしめく波止浜港 Hashihama Port

    愛媛県今治駅から車で15分程の場所にある『波止浜港(Hashihama Port)』。小島へ向かうフェリーに乗船するために波止浜港を訪れました。電車の最寄駅からは少し距離があるのですが 市内バスだと港の目の前に停留所があるのでアクセスが便利です。今回はバスの時間とフェリーの時間が合わなかったのでタクシーで向かいました。タクシーの運転手さんに行き先を告げたところ “渡し場ね” と。渡し場と言った方が通じるようです。たしかにバス停の名前も「渡し場」でした。 波止浜港に到着すると待合所の自動販売機でフェリーの往復チケットを買って 出発の時間まで港に停泊している船を見て歩きました。渡し場というくらいなので小さな乗り場を想像していたのですが 港に到着して目の前に広がる景色に興奮。 港自体はそんなに大きいものではなく 小型の船がいくつか停泊しているだけだったのですが 対岸には高くそびえるクレーンがいくつも林立し 普段なかなか見ることのない巨大な船が並んでいました。対岸は今治造船の造船所だとか。さらにこの小さな港内には他の会社の造船所もあるとのことで どこからどこまでがどの造船会社のものかよくわかりませんでしたが 様々な機械や倉庫がひしめきあってどこを見てもかっこいい。 中でも船体横にEVERGREENとかかれたコンテナ船は本当にすごい迫力でした。船名は「EVER BRAVE」。全長が200mを超える大きさなのだとか。あとで調べてみると この船を見るためにここを訪れる人もいるそうで 船好きの人にはたまらない場所だと思います。 フェリーの出発時刻になり船に乗り込んで出航。小さなフェリーは造船所の横を通って港の外へ進んでいき 様々な角度から造船所の様子を見ることができました。港から離れてみてもいくつも並ぶクレーンがかっこいい。 と見惚れている間に小島に到着。途中にある来島を経由しても10分ほどの航海。小島から眺める波止浜港も最高でした。 波止浜港 Hashihama Port

  • 日本三大銅山の山間に栄えたかつての鉱都 別子銅山東平 Tonaru – Besshi Copper Mine

    日本三大銅山の山間に栄えたかつての鉱都 別子銅山東平 Tonaru – Besshi Copper Mine

    愛媛県新居浜市 多くの銅を産出し繁栄した別子銅山にある「東平(Tonaru)」。新居浜駅から車で40分ほどの場所にあり 最後は道幅の狭い山道をすすんだ先にあります。別子銅山での採掘の歴史は古く 鉱脈を求めて拠点を移しながら300年近くも続きました。東平はそんな別子銅山の歴史の中でも後期の部分にあたります。閉山から40年以上経った現在でも いくつか残された鉱山施設を見ることができるということで行ってきました。採鉱本部跡にある駐車場に車をとめて まずは案内マップの一番奥にある広場を目指して渓谷遊歩道を歩いて行きます。 花が咲き始め緑がまだ青々と茂る前 様々な色をした樹々に囲まれた渓谷遊歩道。だんだん細い山道になっていきますが歩きやすい道が続きます。 広場までの途中にあった苔生した石垣は「第三社宅跡」。現在建物は全て撤去されていますが この辺りには銅山で働く人々の社宅が18戸ほどあったそうです。石垣の他にも何に使われていたものかはわかりませんが いくつか生活の跡が伺えるものが残っていました。 ほどなくして広場に到着。広場奥の高台にあったのが「第三変電所跡」。明治37(1904)年に建設され 閉坑間近まで61年もの間使用されていたそうです。つまり使われなくなってから半世紀近くたつことになると思うのですが 当時の姿をしっかり残しています。 建物の中へ入ると木製の壁の一部と階段が少し残っており あとはガランとした空間が広がっていました。 いつの時代のものか錆の浮いた空き缶やかまどだと思われるものも。 東平は別子鉱山の採鉱本部が置かれた大正5(1916)年から 休止する昭和43(1968)年まで町として大変賑わい 最盛期には労働者やその家族など3,800人ほどが生活していたそうです。こんな山間に鉱山関連施設だけでなく 病院や学校、娯楽場なども建設され 1つの街として栄えていたというから驚きます。 こちらは広場の一番奥にあった「第三通洞」。ここを電車が走っていたということだったので見てみたかったのですが 残念ながら中は立ち入り禁止。入り口に設置された黄色い柵は 当時からのものであればなかなかおしゃれです。 その近くにあった暗渠の入り口。通洞もこの暗渠もそうですが どれも緑に覆われ山の一部と化していますが 崩壊することなく綺麗な状態で今に残っています。何kmも山の中を掘り進んで地下へ行くのだからそう簡単に崩れては困りますが これだけのものを造りあげる技術はやはり素晴らしいです。 さて広場を一周したら採鉱本部跡まで来た道を戻ります。途中 “マムシに注意” という看板があったので少しビクビクしていましたが 遭遇することなく戻れました。採鉱本部跡の手前にあったのは「小マンプ」と案内のあったトンネル。 採鉱本部跡地付近で見ることができるのは 階段状につくられている「選鉱場」と「貯鉱庫跡」など。 今はこの一部だけが残されていますが さらに上のエリアには社宅を始め人々が生活する街が広がっていたそうで その様を想像すると100年前に戻って街を歩いてみたい気にさせられます。 向かいに広がる山の景色は当時もこんな感じだったのでしょうか。 大きな貯鉱庫の下にあったのは「索道基地跡」。索道とは鉱石を運搬するロープウェイのようなものらしく レンガの所々に鉄の装置の一部も見ることができました。 貯蔵庫跡横に長く一直線にのびた階段は かつてインクラインとして使われていた場所だそうです。この傾斜面に敷いたレールの上にトロッコを走らせ 荷物の運搬を行っていたと案内にありました。最後に202段もあるという階段を上って散策終了。これらの施設が現役で稼働し多くの人々が暮らしていた100年前のこの場所も歩いてみたいけれど 100年後のこの場所もやはり見てみたいと思ってしまいます。 別子銅山東平地区 Besshi Copper Minehttps://besshi.com/

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